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きもの鑑定室
季語にある「きもの」の話

1.新年


*春着(はるぎ) −新年−
  九十年生きし春着の裾捌き    真砂女
  唐桟の好みもありし春着かな   東洋城
  待針は花の如しや春着縫う    菜花
  襖絵の鶴に手拡げ春着の子    章

photo新春に着る春着。江戸時代迄は「正月小袖」「春小袖」と云ってきものの上に羽織る裾に綿を入れた豪華な衣装であった。現在の婚礼に着る「打掛」と思えば良い。

きものだけの時代になっても、正月には仕立下ろしのきものを着た。その為に呉服屋は、大晦日は仕立物の配達と掛取りで、除夜の鐘の音が鳴っても、走り廻ったものである。

例句の真砂女のは一生きもので生きた人の句。唐桟は夏の季語の「白絣」のところで記す木綿縞。今でも千葉館山で、素晴らしい木綿の縞を織り続けている機屋の品。待針とは糸を通して縫う針とは別に、予め縫う所を留めておく、頭に色の印をつけてある針である。



2.春


*花衣(はなごろも) −晩春−
  花衣脱ぎもかへずに芝居かな      虚子
  ぬぎ捨てし人のぬくみや花ごろも    虻笏
  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ     久女
  花衣ぬぎてたたみてトランクへ     立子

例句にあるきものは、既に現在の通常のきものであるが、江戸中期以降町民文化が旺盛になると、財力のある町民は「花見衣」「花の袖」と云って、花見の為の小袖を競って、一年も前から京都に「小袖」の誂えを出して、花見の宴を張った。

貴族、武家の小袖はある格式と伝統を重んじたが、町民のそれは全く自由奔放に「友禅」「刺繍」を駆使して大胆な図柄を競い合った。当時の有名な呉服屋、越後屋が三越、下村が大丸、伊藤が松坂屋、飯田が高島屋と各々百貨店になっている。
今でも三井家等の小袖は、貴重な資料として保存されている。

*花冷(はなびえ) −晩春−
  花冷の大鉢にさして妻が鏝     青邨
  花冷えや糸は歯で切る小縫物    民夫
  花冷や古りても貸さぬ裁鋏     満佐子

「花冷」は直接きものの季語ではないが、裁縫に関する俳句がある。昔はどこの家庭でも浴衣位は縫ったものだろうから、「絎台」(くけだい)「鏝」「物差し」等は、使い慣れた個人の道具として大切にされていた。

現在のこされている「物差し」は「二尺差し」で約76p、茶色の竹艶の出たものだろう。尺には、きもの関係だけに使う「鯨尺」(くじらじゃく)と建築、身長等を表す「曲尺」(かねじゃく)とがあり、鯨尺の一尺は38p弱、曲尺の一尺は30.3cmである。鯨尺は鯨の髭を使ったから、曲尺は大工が持っている鍵形に曲がった物差しから名付けられたと云われる。

きもの地の一反は、幅37cm、長さが12m、鯨尺で3丈2尺。これできもの一枚が出来る。二反続きの物は「疋物」(ひきもの)と云う。六尺褌は、鯨尺だから約2.3mあった。

尺貫法の禁止寸前、我々は慌てて何十本もの「尺差し」を買い込んだ覚えがあるが、永六輔の尺貫法復活運動で回復し、和装業界では彼に「きもの博士」号を贈ったものだ。

今の教育はすべてメートル法であるが、中年以上の方には自分の寸法は鯨尺で覚えられている為、寸法表示は両方必要となっている。女性のきものは「おはしょり」をする為、身長と同じ「身丈」が気やすく4尺3寸、163cmが一般的であり、男性のきものは女性の物より約30cm短い。現在「浴衣」はほとんどが既製品として売られるが、女性のきものに「おはしょり」がある為、着付の仕方で5〜10cmの融通が利くので細かいサイズ別がない。

 
諸外国ではインチ(2.54cm)が使われている。余談乍ら足袋、靴は「文」(もん)であったのは覚えておられよう。十文が24cm、十文半が25cm、ジャイアント馬場の十六文が有名であった。